ビブリオバトル④『「モモ」ミヒャエル=エンデ(ドイツ)』
内容は346ページとボリュームのあるものとなっておりますが、児童文学作品という名のとおり読みやすいものとなっているので、誰でも読み始めるのに苦労はいりません。(実際、「小学5・6年以上」の記述が裏表紙にあります)
あらすじは、
とある町はずれの円形劇場(まるい舞台とそれを囲う石段を思い浮かべてください)跡に突然現れた不思議な女の子モモ。
町の人たちは最初は奇妙に思いながらも、のんびりとしたやさしい人たちだったので、モモに生活雑貨や食べ物を分けてくれます。
そうしているうちに、モモと話すと、モモはただ話を聞くだけなのですが、誰もが悩みを解決できたり、その人の長所が伸びるということがわかりました。
みんなはモモと友達になり、お互いがお互いを必要としていました。
しかしそんな時間もつかの間、「時間泥棒」と呼ばれるようになる灰色尽くめの男たちが、街を静かに占領し始めるのでした・・・
主な登場人物は
・モモ(こども/浮浪児)
・ジジ(若者/フリーター)
・ベッポ(老人)
・こどもたち
となっています。端的に言えば彼らは、社会の中心であり、いつだって忙しく働いている社会人たち以外です。
そんな忙しい社会人たちは、まず「時間泥棒」の魔の手に落ちてしまいます。
時間泥棒は忙しくも自分の好きなことも時間を見つけてやりくりしている人の元へ行き、こう言います。
「あなたがやりくりしていてしている好きなことは、はっきり言って時間の無駄です。1分は60秒、1時間は3,600秒、1日は86,400秒、一年は31,536,000秒、ではあなたの残りの時間は?どれだけ莫大な資産をお持ちかわかったでしょう。それを、これからも無駄にし続けるのですか?もっと本当にやりたいことがあるんじゃないですか?その時間を我々時間貯蓄銀行に預けてくだされば、あなたの将来の時間を約束します。」と時間をまるでお金のように扱い丸め込み、契約を結びます。
この契約が結ばれてしまうと、その人はわけもわからずひたすら時間に敏感になりながら一心に働き、心をなくしてしまいます。
社会人たちがすっかり時間泥棒の魔の手に落ちた後、ジジ、ベッポ、こどもたちも同様に非常に忙しくなったり、施設に入れられたりしてしまいます。
私がこの本を読むことで気づくことのできるテーマは
・「時間」というもの
・ペルソナ(仮面)
・合理性
の3つです。
まず時間について。「時間がない」という体験をしたこと、よくありますよね?
ではなぜ時間がないのか、それが本当に自分の使いたい時間なのか、どうでしょうか。1つのことに迫られて、周りが見えなくなってませんか?
自分というものを見失ってませんか?そうなってしまっているのが、この物語における、「時間泥棒」の魔の手に落ちてしまった人々なのです。
しかしこれは我々にも当てはまりますよね。日ごろ自分ではない自分、すなわちペルソナをつけて、自分を偽り演じていませんか?
そして合理性についてです。モモはこどもということもありますが、浮浪児なので数字に無頓着です。
しかし、すでに述べた通り時間泥棒は数字を非常に重んじ、武器として使用してきます。ここに大きな合理性の差を見ることができます。
ではそんな現代的にはしっかりしている時間泥棒と現代的にはしっかりしていないモモ、どちらが勝つのか?
ぜひお手に取ってみてください。普段我々が失っているものが、モモの視点で見つかるかもしれません。