[三菱②]

今回三菱の創設から戦前までの1880〜1944年をやりました。

 

1893年に三菱合資会社が設立されたのですが、これは当時にしては珍しい「全員有限会社」でした。今では株式会社がこれに当たります。何がすごいのかと言うと、企業が倒産しても全ての負債を清算する必要はないのです。これが近代的な企業とそうでない企業の差とも言えます。

 

1895年には三菱に初めて銀行部が設立されました。日清戦争の勝利で台湾にも販路を広げ、資金の拡大が著しいものとなったのです。

 

この後数年間は戦後恐慌で金利が低迷し、弱小銀行が次々に倒産していく悲惨な状況になりました。しかし弱小銀行の倒産は三菱などの大銀行にとっては最高のチャンスであり、大銀行に預金が集中することで大きな利益をあげました。

 

1904年に日露戦争が勃発し、日本が旅順港を陥落させ、バルチック艦隊を破ると重工業系の企業活動が活発化し、日本の産業そのものが大きく発展しました。

 

日清戦争後と同様に戦後恐慌が起こると三菱に預金が集中し、大きな利益を得たのです。

 

次が一番のポイントとなる箇所です。

 

1914年に第一次世界大戦が勃発すると船舶が飛ぶように売れ、三菱への預金も集中しました。この時期の三菱の勢いは凄まじく、1914~1919の4年間で預金が5800万円から2億8000万円にまで上昇したのです!!!ここで三菱の基盤が出来上がったと言っても過言ではありません。

 

そして1919年に貯めに貯めた資金を生かして、三菱銀行が誕生しました。

 

この後も関東大震災日華事変の影響で不良債権が増加しますが、預金は増加する結果となりました。

 

1943年、戦時下で第百銀行を合併しました。これは当時にしてみれば三菱が無謀だと思われていたらしく、「蟻が象を飲み込む」と表現されました。

 

ここまで出来事を纏めてみましたが、1つ大きな事に気が付きました。

 

それは、大手銀行は恐慌時にかえって預金が増加するという事です。倒産の可能性が低い大手銀行は信用力もあって安心だという事なのでしょう。大手と中小の差が拡大する原因は好況だけでなく、むしろ不況にあるのだと知ってかなり驚きました。

 

 

次回は戦後の1945〜2005年をやります。